日本画部門

田渕 俊夫

日本画家、文化功労者、日本美術院理事長、東京藝術大学名誉教授

第3回ぎふ美術展の審査をしてみて、初めの印象は小品が多いが一生懸命描いているなということでした。審査が進むに従い夫々の作品が良く見えてくるのが楽しかったです。その中でぎふ美術展賞になった山元麻衣さんの作品には今までにない日本画の新しい表現を求める姿に感心しました。優秀賞の升野琴絵さんはモノクロームに近いぎりぎりの色調の中に人物を浮かび上がらせて美しく表現されており、又同じ優秀賞の佐藤正子さんの作品には難しい日本画技法の可能性を求めて色々試みている姿勢に好感を感じました。奨励賞の白木あやめさんの作品には風景を一度分解して再構成する表現に新鮮さを感じ、福田公美さんの作品には技術的にむずかしい日本画絵具を美しく表現しているし、林美都子さんの作品には平面的な表現に日本画の可能性を感じました。特に所久美子さんの作品には難しい水の表現を自分なりに表現した姿勢に好感をもちました。

野地 耕一郎

泉屋博古館東京館長

日本画とは何か?日本画とはどのような絵画なのか?それを一言で言うことはかなり難しい。材質は定常としているが、モチーフや主題は時代によって大きく変わってきたし、変わらざるを得ない運命をもっている。そんな「日本画」を牽引しつづけた髙山辰雄氏は、「日本画は、時間を描く絵画なのです」と話された。「長い時間を憶い出すことが、私の日本画です」とも。
今回受賞作となった3点ともが、各各の作者にとっての記憶と、それを廻る生きた時間を主題にした作品だと知るにつけ、得心した次第です。3作とも画面の構成力、表現法に優れ甲乙つけ難く、順位をつけられないと思いました。そんな中で「The connection is lost」は、地塗りと図の関係性に新たな造形への焔を少しだけ強く感じました。白描画ともいえそうな古様な佇まいも好ましいし、風景ではなく「山水」を想起させるところに、日本画の絵画としての希望があるように思います。

洋画部門

遠藤 彰子

洋画家、武蔵野美術大学名誉教授、二紀会理事

入選作品は、笠井先生と共に検討を重ねながら選出させていただきました。集まった作品はバラエティに富んでおり、それぞれが自らの表現を突き詰めて制作している様子が、画面を通じて伝わってきました。選ばれた作品は、どれも力作だったと思います。
ぎふ美術展賞の林直樹氏の作品は、明暗のバランスが心地よく、モチーフをリズムよく配置することによって、上手く画面を構成していました。優秀賞の鈴木昌義氏の作品は、画面を小気味よく分割し、白黒と赤を効果的に配することによって、非言語的な人間の感情を表しているように感じられました。奨励賞の納義純氏の作品は、ノスタルジックな雰囲気と幻想性に魅力を感じました。
応募者全体のレベルは高く、誰が入選してもおかしくない状況でした。惜しくも選外となってしまった作品にも佳作は多数あったので、結果にかかわらずこれからも継続して挑戦してほしいと思います。
最後に、ぎふ美術展の発展によって、創作する喜びが多くの方に伝わることを心から願っております。まだしばらくは辛い日々が続きそうですが、お互いに頑張っていきましょう。

笠井 誠一

洋画家、愛知県立芸術大学名誉教授、立軌会同人

今展に際して初めて審査に参加させて頂きました。選考に当たっては絵造りの基本的な力量と発想や表現力等も含めてすすめさせていただきました。
ぎふ美術展賞の「静物(テーブルの上)」(林直樹さん)は身辺にある器具を日常の目線で捉えながら緊密な画面構成の中に確りした表現力が評価されました。
優秀賞の「鉄の街」(鈴木昌義さん)は対象の抽象化を極限まですすめ、平面的な画面の構成と赤と黒の効果的な働きが目に留まりました。
他にも様々な主題の多様な表現による数々の作品が見られました。

彫刻部門

武田 厚

美術評論家、多摩美術大学客員教授

彫刻部門の応募点数は多くはなかったが、それぞれに独創的なアイデア=発想で自由にのびのび作られているのが良かった。技術的な問題に触れるとあれこれ難はあると思うが、大事なことは、何を表現したいのか、何をつくりたいのかが率直に伝わってくるかどうかである。この度の審査で最も注視されたのはそういったところだったように思う。
とりわけ上位三名の方の受賞作品については、自身の思いを迷うことなく表現しようとした熱意が見えてくるものであった。思いの深さとそのまっすぐな姿勢が、結果としてユニークな造形を生み出したとも云える。ちなみに三名の受賞者は共に六十代、七十代の年齢を数える若くはない方々である。表現者にとって年の数は無縁とはいえ、そうしたものを一切感じさせない純なエネルギーの放出と凝結に、いわゆるモノづくりの魅力を素直に感じる。

三沢 厚彦

彫刻家、武蔵野美術大学特任教授

今、現在、彫刻表現としてのカテゴリーやその考え方も随分と変化している。素材や形の問題を逸脱し、あるいは、思考性を持ち拡張しながら、ますます多様な様相を示している。そんな思いを感じながら、ぎふ美術展の彫刻部門の審査会場を訪れた。
作品は専門性の高いもの、技術云々より造形性を楽しんでいるもの、趣味性の高いものなど、様々なベクトルを持った作品が混在している。一つ一つ見ていくと、これらを審査するのは正直難しいと思った。何故ならば、個々の作品に作者のリアリティが内包されている。表現は先ずはリアリティを感じる事でしか成り立たないからだ。そう言った意味では全ての作品に実感がこもっている。
そんな中、ヒサオ・カメヤマさんの「ファンタジー」、樋口勝彦さんの「生命(いのち)の源流」、石田昇さんの「故郷~岐阜~」などが強く印象に残った。
特に、ある作品は、作者ご自身が息子さんの死に直面したことが作品を作る動機になったとお聞きした。その作品は地元の檜材による、地面からうにょうにょと発芽し、女性的な身体を纏って上昇する様な形であった。

工芸部門

隠﨑 隆一

陶芸家

1000点近い出品作を前にして、7つの部門の幅広さに改めてこの美術展の奥行きを感じた。
工芸部門も同様に工芸の「枠」を考えさせられる作品群で工芸的な陶芸を生業にしている私にとって実に楽しい出品作群です。全体を拝見しどう捉えるか先ずはそこから入らなければならず、暫くは立ち止まってしまった。予想以上に出品者は工芸の視野を広く捉えているからである。それは彫刻?それは自由表現?… 中々難しい判断を迫られた。
工芸は「用」というゴールをも想い描いてはいるが、色々な「ヨウ」を思わせた。出品作は技術や知識よりも想いや欲望、意思の強さが表れている。この度、ぎふ美術展賞に選ばれた陶で製作された浅野孝之さんの「食事中の転寝」は技術的完成度よりもその思想的な感性が自由に表現されている。岐阜県民主体ではあるが、芸術祭に相応しい一点です。

三輪 嘉六

文化財学者、前九州国立博物館長

工芸部門での応募作品は89点、前回を上回る数であった。作品は多様性に富んだ内容で、改めて工芸とは何かという基本的な問題について視点を定めてみる必要があった。そして工芸分野の特性ともいえる染色、漆工、木工、和紙等は地域(岐阜)を語り得るものでもあるが、その類の作品に接することが殆どできなかった一抹のさびしさを感じた。
そんな中でぎふ美術展賞「食事中の転寝」は豊かな構想力を基に生まれた作品といえよう。全体に素直、特別な技巧を見ることは少ないが、ヒビの入った器の脆弱性が美の対象になり得ることを意識したところに特色がある。工芸に楽しさ、面白さを導入した作行である。
優秀賞の2点、「纏う」は丹念で繊細さが持味、造形力を発揮している。「池の中」は、水中生物を美しい表現力で覆い、豊かな心の包容力を感ずる作品である。
そして、今後の制作に向けて期待感のあるものを奨励賞とした。

書部門

黒田 賢一

書家、日本芸術院会員、日展副理事長

第3回となるぎふ美術展は相当レベルが高いと伺っておりましたので、大変楽しみにして審査に臨みました。
漢字、かな、篆刻、調和体と実にバラエティーに富んでいる中で、特に漢字作品は古典に立脚した造形と力強く洗練された線情の豊かなものが数多くありました。
かな作品も、中細字作品を中心に、かなの美的要素の一つである″遊絲連綿″と言われる連綿線を効果的に生かした魅力的なものが目に止まりました。
ぎふ美術展賞の上籠鈍牛さんの「蟹眼」は金文ですばらしく力強い筆力で表現され、特に白(余白)が実に美しく、白と黒の芸術の極致を思わせ、最高賞にふさわしい傑作でした。
優秀賞、奨励賞は、それぞれに練度の高い秀作を選出しました。
これからも古典古筆を拠り所とし、普遍的な書美を追求しながら、より個性豊かな作品が数多く寄せられることを期待しています。

富田 淳

東京国立博物館副館長

漢字・仮名・調和体・篆刻など各分野にわたる作品は、古典に根差したものから、現代感覚を盛り込んだものまで、いずれも表現の幅が広く、全体を通して充実した内容となっていました。審査にあたっては、書体や書風に偏ることなく、それぞれの作品の持ち味を楽しみながら評価させていただきました。
ぎふ美術展賞・上籠氏は、古代文字に現代感覚を盛り込み、潤渇の対比から落款印章にいたるまで、大胆さの中にも細やかな神経が行き届き見事。優秀賞・三間氏は、重厚な線質と凛然とした書きぶりが味わい深く、日頃の弛まぬ修練がしのばれます。奨励賞・石田氏は、独特な用筆と清新な造形が実に美しく、響きの高い作風となっています。
惜しくも選外となった作品の中にも秀作が多く、特に小中学生の応募にはキラリと光る作品が少なからず見うけられました。今後の活躍を期待します。

写真部門

伊藤 俊治

美術史家・東京藝術大学名誉教授

第3回ぎふ美術展の写真部門には、第1回作品数209点、第2回作品数219点を超える233点の応募があった。応募作品はいずれもレベルが高く、内容も祭りから動物までヴァリエーションに富み、充実した審査にあたることができた。今回はコロナ時代を反映する作品が多いのではと想定していたが、ぎふ美術展賞の「上り・一番列車」や優秀賞の「アクアリウム」など自然の厳しさや季節の繊細な美しさを湛える作品が目についた。また奨励賞の「夕暮の狩り(キツネ)」や「氷点下の朝」など、日々の何気ない光景の中の偶発性を捉える写真も印象的だった。デジタル写真からも優秀賞に老いの多様性を感じさせる「人生100年時代」が選ばれた。デジタル時代になり、写真の記録性も大きく変わろうとしてはいても、生活や風土、記憶や経験に根差した写真の試みがこの岐阜の地に息づいていることを実感させる有意義な審査となった。

野村 佐紀子

写真家

ぎふ美術展賞の「上り・一番列車」は、早朝の厳しい雪の中を走る列車のヘッドライトが情緒的で、さらに車内の2人が、この線路や停車する駅の事までも想像させます。
優秀賞の「アクアリウム」は、雪が凍るプロセスを非常にデリケートな目で見つめて、丁寧に美しく転換しているところに惹かれました。
同じく優秀賞の「人生100年時代」は、こちらに向かってくる電動車椅子の高齢者が凛としている事と、手を取り合ってゆっくり向こうへ歩いて行く2人の姿が、様々な生き方を見せてくれます。
「夕暮の狩り(キツネ)」では、撮影者が一瞬キツネと共犯になっているような緊張感が魅力的でした。
真っ直ぐ被写体に向かい、良い瞬間を撮るというシンプルな写真に背筋が伸びました。

自由表現部門

小山 登美夫

小山登美夫ギャラリー代表

自由表現というセクションだからか自分の作っている作品がはたしてどのカテゴリーなのかを迷っているものが多く見受けられました。技法の熟練という方向性ももちろん美術のひとつの方法だと思いますが、自分のやりたいことを目の前に実現してみることがまず大事で、その時そのやり方が唯一の方法であるならば説得力もでてきます。北川ひとみさんの「あいにきたよ」は、樹脂粘土を使って半立体の動物や植物が画面を飛びだすような広がりをもって表現される―まさに絵画ではできない表現です。一方、技法的には絵画と同じかも知れないが、その平面性においてイラストレーション的側面を持つ作品も多く見うけられた。絵画の持つ三次元的なイリュージョンとは違う点においてこのセクションを選んだのだと思われます。象徴性や時代性を色濃くとどめることにもつながり、時代と直結する新しい視点を得られたと思われます。その意味でこの“どこにも属さない”セクションは意義深いと思います。

ひびの こづえ

コスチュームアーティスト

自由表現とは何か。自由は難しい。私がこの公募に出すとしたら。 自分の好きな事を突きつめる先が自由を知る糸口かもしれないと作品を見ながら思い始めた。
ぎふ美術展賞の「あいにきたよ」は余りの根の詰めかたに驚いた。始め花は造花と見誤ったほど精密で、麒麟の造形は沢山の色鉛筆で描かれた様に見えるが1本一本が違う色の粘土を丸めて作られている。それによって柔らかい質感が作品の魅力につながっている。
「ONE LINE ART・ふたつのメロン」もよく見ると1本の緻密な線がつながって描かれている。それをゴールドのメロンのヘタが結んでいる。
自由とは自由にどこまでこだわるかが答えなのか。
「回転するYO-YOを並べる」の作品はそれとは逆の軽さ。まるで蝶の様に飛びそうだ。ラフに切られ塗られた様に見せながら表現の答えはたった一つ。
賞に選ばれた作品には不必要なものがない。
最後に選んだ「今日の食卓(春)」は既製品の台を外して完成した。

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