実施報告

2021.10.20
アートラボぎふ

写真・自由表現講演会 写真って何だ?/新しい写真の読み方 実施報告

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「第3回ぎふ美術展」写真部門の審査員を務めていただいた伊藤俊治先生を講師にお迎えし、写真が誕生してから200年の間の写真の変遷と新しい写真の読み方を探る講演会を高山市図書館  煥章館で開催しました。


【開催概要】 

◆日時  令和3年10月3日(日) 14:00~15:30

◆会場  高山市図書館  煥章館(高山市馬場町2-115)

◆講師  伊藤 俊治氏(美術史家・写真史家、東京藝術大学名誉教授・多摩美術大学客員教授)

◆参加者数  19名


◆内容  日常的に写真が満ち溢れている世界に生きている我々にとって、写真がすべて消えてしまったらどんな世界になるか、携帯に溜めた写真も新聞・雑誌に掲載された写真もアルバムも皆なくなってしまう世界を考えてみてほしいとの問いかけから講演は始まりました。そして、今から200年前の、写真が発明される前の世界が実はそうであった。

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写真が発明されたのは諸説あるが、概ね1820年代から30年代にかけてとされている。その80年ほど前に書かれた小説『ジファンティ』に登場する「夢の画像」とは鏡や水面に映った映像を定着させるもので写真のメカニズムの原型が記されている。フランスのニエプスはこの『ジファンティ』を熟読し、外界の世界をイメージとして定着させる実験を繰り返して成功し、「太陽で描く」という意味の「ヘリオグラフィ」と名付けた。その後、間もなくしてイギリスのタルボットがネガポジ方式を開発し、オリジナルから何枚もの写真を作れるカロタイプという写真術を発明し、世界初となる『The Pencil of Nature(自然の鉛筆)』という写真集を出すといった写真を発明した二人の話がありました。そして、1826年頃のもので世界最初の写真と言われるニエプスが撮影した窓の外の風景の写真がスライドで紹介されました。「カメラ・オブスキュラ」という15世紀以降の画家たちが使っていた外の風景を針穴を通して向かいの壁面に上下逆転させて投影する装置に着目し、光が当たると黒くなる特性を持つアスファルトの版をそれに挿入して窓からの景色を定着させることに成功した写真とのこと。また、タルボットが作った世界初の写真集『The Pencil of Nature(自然の鉛筆)』から「干し草の山」など日常的な風景の写真が紹介されました。写真というのは自然の造物主=神のような存在が自ら刻印するイメージだというのが彼の考え方であった。ここで注意すべきは、二人とも自然のメカニズムが写真と密接に結びついているということを深く認識していた、つまり、現在考えられているような“写真は人間が能動的に生み出すもの”というイメージよりも、“人間を超えた何者かが人間とカメラを通してイメージを表現させる”という見解を持っていたとの解説がありました。      

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こうした科学と芸術が融合する形で写真が生まれた話の後、それ以降驚くべき速度と浸透度で世界中に迎えられ、著名写真家の作品をスライドで紹介しつつ現在に至るまでの写真の変遷についてのお話がありました。

19世紀の大写真家であるフランスのナダールは、ドラクロワをはじめとした画家や音楽家、政治家など様々な偉大な個性を持つ人物を類まれなる直観力で把握して撮影し、人間の顔が持つ無限の不思議さ、複雑さを写真の中に見出そうとした。

また、イギリスのフェリックス・ベアトは明治初期の日本の風景や人物を撮り、新大陸のアメリカではティモシー・オサリバンが西部遠征隊やパナマ探査隊に同行して雄大なフロンティアの風景を撮影した。

時代が進み20世紀になると、カメラとかレンズの特性を生かした新しい肉体の発見の時代となり、マン・レイ、アンドレ・ケルテス、エドワード・ウェストンなど様々な実験精神に満ちた写真家が現れ、人間の肉体に対する意識とか身体に対するビジョンを次々と塗り替えていく。

1920年代から30年代の"写真の黄金時代"と言われた時代には、写真技術が飛躍的に発展し、写真が絵画のイメージを持っていた遠近法的な認識のフレームをどんどん壊し、自由な視点と形式を獲得していく。バウハウスのラズロ・モホリ=ナジは機械的イメージだったり船とかメカニック等色々なパターンを表現し、彼は「写真が発明されたのは100年前のことだが、それが本当に発見されたのは最近のことだ」と宣言し、写真発明後100年にしてやっと写真がその本質を見出したことを、その言葉にして表現した。

19世紀末から写真は芸術であって、しかし他の芸術とは異質なものを持っているという考え方が欧米では次第に浸透していき、20世紀近代写真の父と言われるアメリカのアルフレッド・スティーグリッツや彼と一緒に写真芸術運動を繰り広げたエドワード・スタイケンといった写真家たちが登場する。エドワード・スタイケンは第一次・第二次世界大戦を記録した戦争写真家として有名。彼は写真の持つ非常に精密な描写力を強く認識し、戦争の渦に飲み込まれて人間の生と死を分けるのは写真の描写力だということに気付いていく。

また、同じく戦争写真家として有名なロバート・キャパは、フォトストーリーという複数の写真を編集して組み合わせ、物語としてテキストも付けていく写真表現形式を確立した写真家。彼は戦争の真実というものを絶えず考えていて、『ライフ』などのグラフジャーナリズムに掲載した。キャパの写真は戦争を静的な鑑賞の対象から劇的な同時進行の現実に変換させてきたと言われている。

第二次世界大戦が終了すると、マイナー・ホワイト、ウィン・バロックといった写真家たちが登場。彼らは自然の大地から立ち上ってくる超越的な気配にフォーカスを当て、循環する自然の力が持つ底知れない神秘を捉えようとした。

1960年代から80年代にかけてベトナム運動、フェミニズム、大衆文化など様々な新しいムーブメントが起こり、それまでの道徳観や常識が通用しない社会問題が積み重なる中、写真は公的な問題に取り組む能力を失い、写真表現はプライベートで日常的な要素を含んで拡がり始める。ダイアン・アーバス、リー・フリードランダー、ゲイリー・ウィノグランドといった写真家たちは、人間とその周りの世界に非常に厳しい眼差しを向けて、時代精神とか社会問題の精密な記録を写真によって成し遂げようとする。そうした問題の帰結としてユージン・スミスなどの環境問題に取り組む写真家がたくさん現れた。

急速な文明の発展や繰り返される災害、テロ、戦争によって地球はかつてない危機に瀕しており、その事実を何よりも伝えているのが21世紀の写真。昨年、コロナで亡くなったジョン・ポワールはパワープレースというシリーズで原子力発電所などの人間が生み出した巨大エネルギーをはらんだ荘厳な風景を記録し続け、人間を取り巻く環境の激変を知らせている。

写真は今から200年前に科学と芸術の最も美しい融合形式として発明され、私たちは生命圏全体を手に入れた新しい星の地図みたいなものとして写真が重合して出来上がったデータベースを読み解いていかなければならない時代に入りつつある。200年という時間に蓄積された写真は膨大なもう一つの新しい宇宙の星を形成しているかのような無尽蔵の写真が撮られ蓄積されてきた。それらを新しい角度から見ていくのは重要なことで、これからますます要求されていくとのお話がありました。

最後に、飛騨の土門拳と呼ばれた細江光洋さん、彼に師事した木下好枝さん、ダムに水没する前の徳山村の風景を写真にして残そうとした増山たづ子さんなどの話が紹介されました。60歳から写真を学んで撮影し始め、88歳で亡くなるまで10万枚を超える写真を撮り続けた増山さんの写真には、在りし日の徳山村の懐かしい日々の細やかな日常の眺めが生き生きと伝わってくる。彼女の回顧展が伊豆フォトミュージアムで開催された際のタイトルが「すべて写真になる日まで」というもので、この言葉が、村のすべてを10万枚を超える写真に替えて残そうとした増山さんの意志を良く表している。そうした視点から、もう一度私たちは写真の力と写真の持っている魅力を新しい角度から感じ取る必要があると結ばれました。

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◆参加者の声  「知らなかった写真の歴史が垣間見れて良かった」「写真というものに対する深い視点を知ることができた」「今後の写真の在り方、岐阜県の写真家の心に感動した」など参加者の写真の見方に一石を投じる講座となりました。

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