実施報告

2022.12.22
アートラボぎふ

アヴァンギャルドと現代アート 実施報告

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「現代アート」シリーズとしてこれまでに開催して好評だった「表面から内面へー再現から表現へ」、「現代アート」とは何か?、「現代アートの楽しみ方」に引き続き、今年は「アヴァンギャルドと現代アート」と題した講座を開催。岐阜県美術館の至宝オディロン・ルドンと今日のアヴァンギャルドである「現代アート」に共通する“新しさに挑む心”の意義について考える講座を飛騨と中濃の2会場で開催しました!


【開催概要】 チラシはこちら

◆日時  [飛騨] 令和4年11月 6日(日) 13:30~15:00

     [中濃] 令和4年12月11日(日) 13:30~15:00

◆会場  [飛騨] 飛騨高山まちの博物館(高山市)

     [中濃] せきてらす(関市)

◆講師  桑原 鑛司氏(洋画家・Art Award IN THE CUBE企画委員会委員長)

◆参加者数  27名


◆内容  飛騨会場は昨年度に引き続き「飛騨高山まちの博物館」にて、中濃会場は昨年3月に新しくオープンした関市の産業・観光発展や市民交流を目的とした複合施設「せきてらす」で開催しました。「せきてらす」には「清流の国ぎふ」マスコットキャラクターのミナモも応援に駆けつけてくれました。

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講師の桑原先生は1982年に岐阜県美術館が開館する前に美術館開設準備室に勤務されており、どのような作品を収集するか決まっていないゼロからのスタートの中、当時大量に市場に流出したオディロン・ルドン(1840-1916)の作品を核にシュルレアリスムの流れで収集していく方針が決まったとの話が紹介されました。

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続いて、スライドでルドンの作品を紹介しつつ、彼の自著からルドンを理解する言葉を紹介してルドンの絵に対する考え方の説明がありました。ルドンは50歳になるまで『幻視』『蜘蛛』のような白黒の世界だけで絵を描いていたが、50歳を過ぎてからは『青い花瓶の花々』『アポロンの戦車』『オルフェウスの死』のような色彩豊かな実に華やかな綺麗な絵を描いた。ルドンの「私は表現を主とした暗示的な定義しえない芸術を作ったと思う」という言葉に代表されるように、印象派は目に見える世界を絵にし光の変化を色によって表現したが、ルドンは目に見えない世界、自身の内面世界を暗示的に表現した。そして、その中には生命力、情熱がなければダメだと言っているとのことでした。

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次に、20世紀初めのコンセプチュアル・アートの先駆者マルセル・デュシャン(1887-1968)の作品をスライドで紹介しつつ、彼の表現に対する考え方の説明がありました。有名なモナリザの顔に髭を描いて揶揄した『L.H.O.O.Q』、工場で大量生産されている男性用小便器を90度回転させて壁に接している面を下にしただけのものに「R.MUTT」とサインして作品だとした『泉』を世に出すことによって、発想を変えることでこれまでの既成の価値観をぶち壊すという意図があった。そして、その後に発表した『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』(通称『大ガラス』)、『1.水の落下、2.照明用ガス、が与えられたとせよ』の作品を通して、人間には本質的にエロティックなものがあり、そうした人間の本質を表現するのは芸術の役割だ。これまで画家は画家の、彫刻家は彫刻家の仕事を一生懸命極めてきたが、芸術家が求めるものは他にもっとあるだろということをデュシャンは言いたかったのではないかとの解説がありました。

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その後、再びルドンの言葉「本屋の窓に『社会的芸術』というタイトルの本を見た。嫌な題だ。しかし私はそれを取って中を開いた。『美の社会化』と言う文字があった。私は本を閉じた」が紹介されました。社会の役に立つ芸術、社会の動きに芸術が携わるという動き、例えば、近年各地で開催されている現代アートの展覧会と地域活性化を結び付けた動きなどもルドンの言う「芸術の社会化」ではないか。芸術とはそういうことじゃないとルドンは言っている。そして、ルドンとデュシャンの考え方の関連性について考察することが「現代アート」を考えるうえで重要であるとの説明がありました。

最後に、赤瀬川原平(1937-2014)の缶詰の外側に貼ってあるラベルを剥がして内側に貼りなおして蓋をした作品『宇宙の缶詰』がスライドで紹介されました。缶詰の内と外が逆転して、ラベルを貼りなおした内側が外側となり、ラベルの貼っていない外側が内側となる。つまり、その缶詰の内側にあるものは果てしなく広がる宇宙空間。よって『宇宙の缶詰』となるという発想の転換をした作品。続いて、赤瀬川の「正確な現実社会に不正確な無駄の魂の芸術の世界が重なって存在している」という言葉が紹介され、芸術の世界とは本来無駄な世界。無駄であるほど芸術。芸術とは社会のためにあるのではない。社会のために芸術を役立たせるなんて以ての外だ。芸術とはもっと純粋にあるべきものだということを赤瀬川は言いたかったのではないか。

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デュシャンや赤瀬川がやったことは社会の役には何も立たないこと。社会とは無縁のもの。「現代アート」はこうした意識をちゃんと持っているのか。ものの役に立つようなことをやっているのではないか。あるいは何もならないゴミしか作っていないのではないか。問題はここにあると講師は提起する。「現代アート」はジャンルとして成立しているのか。絵画や彫刻というジャンルがあるが、そんなものはなくて何でもあり。自由表現、表現の自由なのが「現代アート」。今や「現代アート」は美術の感覚だけでは見れない。AIを使った作品もたくさんある。「現代アート」とは複雑極まりない。否応もなく社会の中に網の目のように入り込んできており、これを「現代アート」と言う言葉で捉えるのは至難の業。こうした話をしている自分自身が解っていないとの心情を吐露されて講演を閉じました。  

◆参加者の声  「普段考えないことを刺激する奥深い内容でした」「現代アートの面白さに触れることができた。ルドンを身近に感じられた」「県美にルドンを何度も見に行ったが、次に行く時はまた違った見方ができる」などオディロン・ルドンと現代アートへの理解を深める講座となりました。

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